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  西野稔治・千鶴子ご夫妻、紀伊大島で「花と味のお宿 椿道旅館」を起業
大阪から串本大島へIターンし、大好きな花と地元食材を贅沢に使った料理の旅館を開業。
福祉関係のお仕事をされていただけに、いち早くバリアフリーサニタリー付き客室の導入や、介助犬・補助犬などを考慮し愛犬・愛猫と同伴可能にし、最近では地元食材を使った燻製を製作し、お料理として宿泊者に出したり、インターネット通販で販売するなど特色のある宿として人気があります。(編集者記)
 
 ◆プロフィール 
・1947年京都市生まれ。
・京都府立大学文学部福祉学科卒業。
・大阪府福祉部知的障害者施設に26年間勤務。
・1993年から紀美野町に居住。
・1999年大阪府を中途退職。
・2000年12月、串本町紀伊大島にて宿泊業を開業する。(花と味のお宿 椿道旅館)
 ◆花と味のお宿 椿道旅館 
・〒649−3633
・和歌山県東牟婁郡串本町大島1346―1
・電話:0735−65−8048
・和室×5室、洋室×2室、1階にバリアフリーサニタリー付き和室1室、愛犬(補助犬)愛猫同伴可能。
・全室冷暖房、テレビ、インターネット接続環境を備えてあります。


 
 ◆田舎暮らしを決めた理由 
魚釣りやガーデニングが大好きで、自然の豊かな環境に住んで生業をやりたかったから。
串本大島移住前の7年間は、家の下で鮎釣りが出来て、広い敷地でガーデニングが出来る、紀北紀美野町の貴志川(紀ノ川支流)畔に居住し、勤務先の大阪府泉南市との間を往復2時間で自動車通勤していた。
ここ串本町は、近畿地方では(魚種豊富で大型の魚が沢山いる)海釣のメッカであり、また一説では日本最後の清流とも呼び称えられる(美味な天然アマゴや天然鮎が釣れる)古座川も近い為、永住の最有力候補であった。
1999年、串本大橋が開通し、県道も整備され、その県道沿いの広い敷地が手に入る見通しがたった為、紀伊大島定住=宿泊業開業を決定し転業した。
 ◆定住で良かった事・苦労した事
・良かった事は、他所から移住してきた人を温かく迎え入れて世話をする人の人情の厚さが串本にはある。さらに旅館組合や民宿組合のみなさんも、商売敵ではなく商売仲間として、すぐに同業者仲間に入れて下さり、いろんなアドバイスをして下さった。
その上、宿泊客の紹介までして下さったりして大変心強かった。
また、風光明媚な紀伊大島や古座川の豊かな自然も大変気に入っていた。
移住後、毎日の事であるが、家の外に出たり、串本大橋を渡って市街地に買い物に出かけたりするたびに、素晴らしい土地に定住出来て良かった(飽きる事無く)喜んでいる(地元生まれの人たちにとっては珍しくもない景観だが他所から定住した者にとっては日々感動的な景観なのだ)。
・苦労した事は、黒潮系魚類・深海系魚類・磯浅場系魚類が獲れるのだか、町の過疎化・少子高齢化および地場産業(漁業も)の衰退に伴って、必要な魚を量的にも種類的にも適時仕入れる事が難しくなってきており、種々の工夫や努力が必要とされた。
 ◆今後串本町へ定住移住する人へのアドバイス
定年退職後の定住には特に問題や障害はほとんどないと思われる。
若くして脱サラし生業を始める人にとっては様々なハードルがあり、綿密な事前調査と周到な準備性と一定の資金力が必要とされる。
自営業でもやらない限り、(地元高校卒業生の多くが都会に職を求めざるを得ない現状なので)就職口は少ない。その上、ほとんどの業種が斜陽化し、何時廃業しようか?と考えている人が多い。
唯一、観光関係業種くらいが、外貨を落としてくれる都会の人たちをターゲットにして、工夫と努力次第で、またそのオリジナリティを発揮できれば、生き残りを図れる可能性がある。
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